Personality
このけったいなペンネームは、きのまどい、と読みます。
小説|団体運営|企画主催|同人誌
総合表現サークル“P.Name”代表
というふうに名刺には書いております。
profile
実際のところは、大阪府に住む2003年8月生まれの男子大学生です。
立命館大学政策科学部に通っています。所属は上久保ゼミ。
ものをつくることが大好きな少年がそのまま大きくなりました。ものをつくる、という行為の解釈が拡大し続け、団体を立ち上げるとか、企画を運営するとか、政治に興味を持つとか、そういうことにまで手を出しています。
works
製作活動の本業は小説です。
やれると思ったこと全てに手を出してしまう性分で、大学に入ってからさまざまなことに手を出してしまいましたから、客観的に見たときに胸を張って「小説をメインでやってる人だ!」とは言えないかもしれません。
しかし、僕の気持ち上の本業は小説です。ですから、このポートフォリオでは制作物の区分を、
- 小説
- 動画
- その他(エッセイなど)
としています。
動画は歌ってみた動画だったり、自分の小説を朗読した動画だったりです。
小説を明確に書き始めたのは14歳くらいからですが、実は動画編集は10歳くらいからやっています。
歌うことも好きなので歌っています。その要素を小説に取り込んだりもします。
「やたらと歌が上手い謎の小説書き。なんか怪しい団体も運営しているらしい」
それが僕の目指す姿なのかもしれません。
identity
小さな頃から工作少年でした。
このころの感覚を言語化するとき、クリエイター、という言葉はなんだか適さない気がします。
僕は、クラフターでした。
これとこれを、このように組み合わせると、このように動作するのではないか、というふうに考えて、実際にそうやってみて、予想通りに動いた時の快感。あるいは、予想通りに動かなかったので分解して考察して、原因を理解して、世界をひとつ新しく知ったという達成感。その積み重ねの先に完成したものに生まれる思い入れ。見た人に及ぼす影響。それらを無邪気に愛していました。
その延長線上に今の僕の諸活動があります。
小6から中学にかけて不登校でした。
幸にして親の教育方針で、インターネットの自由な活用ができました。
生粋のクラフターである僕を虜にしたのは、マインクラフトというゲームのマルチプレイコミュニティでした。
ここで僕は、僕の意思でなにかを作り、その利益を他人と分け与えるということの感覚をつかみました。マインクラフトマルチは、人類社会の高度な箱庭です。集団で分業し、生産し、分配する。そのためのコミュニケーション——つまりそれが原始の政治なのですが——をする。そんな営みが、家の中にいながら擬似体験できました。
僕が人間的に大きく成長した場はマインクラフトです。このため、どういうわけか僕の郷土意識は、地理的な地元ではなく、インターネット空間にあります。
policy
ちゃんとした言語化は各エッセイでやるので、ここの文章はあまりいい文章ではないのですが……
僕の創作の理念は、現代の擁護です。
蔑ろにされがちな現代の価値観、尊厳、隠れた正当性、その賢さ、強かさ、手をつけている真理。それらを最大限に擁護して、肯定して、後押しして、参加する。ありていに言えば、子供の立場に立ちたいのです。
「喉元過ぎれば暑さ忘れる」が嫌いです。
「正論パンチ」が嫌いで、「論破」が嫌いです。
「最近の若いもんは」が嫌いです。
「勧老懲若」の物語が嫌いです。
僕らはもっと賢いはずです。見下され、透明化され、若者というコンテンツとして大人に消費されるために市場に氾濫した物語で語られる僕らには描かれない、僕らだけが知っている、僕らが抱えて、僕らが擁護して、僕らが発動しなければいけない、僕らの尊厳がきっとあります。
言葉は嘘である。構造は嘘である。
というのを決して忘れないように創作をすることにしています。
真実は常に、綺麗に言語化されないものです。自分の考えていることをいくら努力して言語化しようが、それはあくまでぎこちない輪郭にすぎません。自分の考えていることの真実は自分の中だけにあります。
だから、たとえ言葉を否定できたとしても、真実を否定したことにはならない。そういう謙虚さをもつことが、人間を尊重することだと思います。
僕の創作は時として政治的です。
政治とは、高度に言語化され、高度に構造化された人類の営みです。ですから、時として政治的思考は、人間が、自分だけが抱える世界の真実を、俗に「気持ち」と呼ばれるものを不可視化します。
けれどもそうではない。政治とは、集団に対する価値の分配という、人類が健やかに生きていくための原始のいとなみです。体を病んでいれば食物という価値を、心を病んでいれば愛という価値を分配します。政治のためには、高度な相互理解が欠かせません。だからこそ私たち人類は、表現する種としての進化の道を辿ってきました。表現の目的とは、畢竟、より高度な相互理解を実現することに他ならないのです。表現は、れっきとした人類の生産活動のひとつです。
行間を読ませなければいけません。
言葉は時として、言葉にならないことを切り捨てるための道具として働きます。しかし僕の「表現」では、言葉にならないことをこそ、人間の内なる尊厳をこそ浮き上がらせ、水面下で理解させる、そんな道具として言葉を使いたい。行間にこそ人間の真実は宿ります。
構造の背後にかくれた、擁護すべき真実を、最も鮮烈に可視化できる表現をしたい。高度に語用論的な言葉のいとなみを、常日頃から私たち人間が繰り出している様を、ありありと描写したい。読者に行間を読ませなければいけないし、行間を読むという行為をすらメタ認知させなければいけません。そんなあまりにも計算高い創作が、あまりにも「クラフト」然とした創作が必要です。
だから僕は小説を書くのです。
人間の切なる気の惑いを、政治のなかに諮い、紀すために。
紀まどいと申します。よろしくお願いいたします。
短くまとめると?
器用貧乏大学生です!
高等遊民ってたまに言われます! いやだ〜〜〜!!!
あがきます!
よろです!